Eduardo Falaschiは1972年5月18日にサンパウロで生まれたが、1歳の頃すぐにリオデジャネイロに引越し、そこで12歳までを過ごした。 しかし父の死後まもなく母はサンパウロへ戻り、その2年後にはサンパウロ州の港町サンヴィセンテに移った。

 Eduは彼の父の家族がプロフェッショナルではないが音楽家だった為に、幼い頃から既に音楽との接点があり、家族の集まる際にはいつもそのなかで歌っていた。

 14歳の頃、アコースティックギターを手にするという初めての音楽的な大きな経験をして、そこから彼の音楽への興味が日に日に大きくなっていった。

 
しかし彼はロニージェイムスディオやブルースディキインソンのファンだったにも関わらず、あいにくにも歌うことより、ギターで曲を弾くことの方が好きだった。

 Eduは友人のブルースバンドで6ヶ月間ドラムを務めたこともあり、また、サントス地方のカバーバンドではベースやギターも弾き、バックヴォーカルを務めながらシンガーとしての第一歩を踏み出した。

 1989年の後半、オブジェチヴォ学院という所の学園祭FICOに、友人の招待を受けヴォーカルとしてあるバンドに参加し、全く期待もせずにデモテープを録音したところ、それが入選。 大きなイベントであった為に、瞬く間に5000人の前でプレイすることになった。
 そしてバンドは3位に入選、その熱が冷めないうちに数人のメンバーはオリジナル曲をプレイするバンドを作ることを決め、これが
Eduがヴォーカリスト、作曲家、アレンジャーとして在籍した、初のプロバンド・Mitriumである。1990年のことであった。

 1991年には1stデモ「Just Remember」を、1992年には2ndデモ「The shadows/You Can Choose The Side of Darkness」を録音、これらの曲はいづれもEduによるものである。

Mitriumはサントスのロックシーンですぐに脚光を浴び、サンパウロにも進出。1993年、レコード会社ARMY RECORDSと契約を結び、初の公式音源となる「Eyes Of Time」というミニアルバムを制作した。収録はEyes of Time, Run From The Fire, Lives So Close, The Shadows の4曲で、これらもまたEduの筆によるものである。

このアルバムは各方面から賞賛を受け、バンドにサンパウロのベストメタルバンドのひとつとしての高い評価を与えた。


バンドと
Edu自身の成長に伴い、1994年1月にはブルースディッキンソン脱退後のアイアンメイデンのヴォーカルを選ぶオーディションに参加するチャンスに恵まれた。
 しかし経験が少ない彼は謙虚な姿勢で臨み、驚くことにブラジルの、そして世界の候補の中の1人に選ばれ、アイアンメイデン側の制作ディレクターDick Bellと連絡をとることさえあった。
 同じ頃、彼は大学に入学し、コマーシャル・マーケティングの勉強を始めていた。
 これほどの成長があっても、多くの非常に難しい問題が発生し、
Mutriumを脱退し、大学に専念するという事態に直面した。1994年8月5日のことであった。

 しかし彼は音楽からすっかり離れたわけではなく、サンパウロの大きなレコード店Hi-Fiで数年に渡り働いていた。
 音楽への情熱は依然変わらず保っており、作曲活動から離れたことは無く、いつも友人と楽しみとしてバンド活動をしていて、OPIUMというバンドでは、シンプルな8ビートのロックをプレイ、デモCDを録音するにまで至った。
 このようにごく普通の生活を送っていた彼だが、心には大きな空虚感があった。4年間、アーティストミュージシャンとしての活動が止まっていたからである。


1998年の中頃、
Eduは彼の弟Tito Falaschiがヴォーカルを務めるバンドSYMBOLS OF TIMEの1stアルバムレコーディングのプロデューサーとして招待される。
 プリプロダクションを前にしてバンドは初めての大幅なメンバーチェンジに見舞われ、ドラマー、ベーシスト、1人のギタリストが脱退、新たな3人のメンバーを迎えて1998年7月、レコーディングを再開。 彼はプロデュースに加えて、他のメンバーの招待もあり、バンドのメンバーとなった。
それに伴いバンド名を
SYMBOLSと改め、初のセルフタイトルアルバム「SYMBOLS」を1998年中にリリースした。

 同時に彼は友人のバンドVENUSのアルバム「Ordinary Existence」の為にヴォーカルラインのアレンジやレコーディングも行った。

 こうしてEduは再びヴォーカリスト、ソングライター、アレンジャーとしての活躍を示すことになるが、それはすぐにブラジル中のメタルシーンに広まり、SYMBOLSをベストブラジルメタルバンドのひとつにした。

 1999年の初め、彼は仕事を辞め、バンドとヴォーカル講師としての仕事に専念するようになった。

 2000年、SYMBOLSは2ndアルバム「Call to the End」をリリース、国内外において好セールスを記録した。

 同年6月頃、ANGRAは新メンバーを探しており、Eduは加入が濃厚な1人とされており、8月に他のシンガーと共にオーディションに招かれた。

 2001年1月、SYMBOLSTitoとギタリストRodrigoの脱退という大きな困難に見舞われるにも関わらず、Eduと残りのメンバーはバンドを続けていくことを決め、3rdアルバム用の曲作りすら行っていたが、数ヶ月後、Eduはついに彼がANGRAのメンバーとなるという知らせを受け取った。 彼はSYMBOLSを続けることを提案したが、他のメンバーは別の道を選んだため、バンドを脱退し、ANGRAに専念することに決めた。

 2001年中には、それまでのANGRA史上最も賞賛を受けたアルバム「Rebirth」に伴うツアーで、世界各地でショーを行った。このアルバムはブラジルで発売から40日以内にゴールドディスク受賞となり、5万枚の売り上げを記録。 ANGRA史上でも初めての事であった。
 彼はこのアルバムの中で、
Nova EraHeroes of SandBleeding Heartを書いている。
 そして日本で最も有名で力のある
Burrn!誌においてもベストヴォーカリストランキングで3位を獲得。そのほかの国でも色々な雑誌やウェブサイトなどにも、その名が掲載された。

 2002年から2003年頭にかけても引き続き世界各地で100回以上のショーを行い、彼の歌声は地球上の4大陸に響いた。

 そうした成功に伴い、バンドはミニアルバム「Hunters and Prey」をリリース。その後には、初の「ライブインサンパウロ」と名づけられた初のライブCDとDVDもリリースされた。
 そしてバンドはその後しばらく休暇に入った。 

 
2003年、しかし彼は活動を休止はせず、ブラジルでヴォーカルテクニックのワークショップを行ったり、他のアーティストのショーやレコーディングに招かれて参加したりしている。
 その1つが彼の友人
Daniele Liveraniが作ったロックオペラアルバム「Genius」への参加で、Eric Martin (Mr.Big), Mark Boals (Malmsteen), Daniel Gildenlow (Pain of Salvation)Russel Allen (Symphony X)といった有名なシンガーと一緒に歌っている。

 ANGRAとしてはホワイトスネイク、モーターヘッド、サクソンなどのビッグネームと共に、2回のヨーロッパでの大きなフェスティバルに出演した。

11月、ANGRAの新作「Temple of Shadows」のヴォーカル撮りをドイツで行い、Milton Nascimento, Kai Hansen(Gamma Ray), Hansi Kursh(Blind Guardian)らと共に歌った。
 このアルバムの中で彼自身としても「今までで一番の出来だ!」という通り、それまでとは異なった、また、よりヘビーな歌唱アレンジで彼のシンガーとしての多面的な才能を示すと共に、「
Spread Your Fire」,「Angels and Demons」, 「Wishing Well」の3曲を書いている。

 リリースは日本とブラジルでは2004年9月で、絶対的な成功を収めた! ある日本の著名な評論家は、このアルバムはバンドの歴史の中で最も洗練されたもので、へヴィーメタルの歴史においても一大転機、指標となるであろうという素晴らしい評価を与え、また、Eduのキャリアにおいても最も素晴らしいものであると断言した。

 9月にバンドはヨーロッパでのプロモーションの為にフランスへ行き、ショー1回と多くのインタビューをこなした。多くのヨーロッパの評論家はこのアルバムを賞賛し、革新的で大胆、洗練されたものであると言った。


 結果は本当に素晴しいもので、Temple Of Shadowsは、全世界で50以上の賞を獲得し、Edu個人としては、メタルシーンにおいて重要な日本の雑誌・Burrn!の2005年度読者投票のベストボーカリスト部門で2位に選ばれた。

 アルバム発売以来、ANGRAは南米・中米・北米・ヨーロッパ・アジア・オセアニアで150以上のショーを行ってきて、それはまさにANGRAとEdu自身を世界に認めさせるものであった。

 EduはANGRAの活動で多忙にも関わらず、色々なアーティストのCDにゲスト参加したり、アニメ「聖闘士星矢」のオープニング・エンディングである「ペガサス幻想曲」「永遠ブルー」のポルトガル語バージョンをレコーディングしたりもした。

 2006年1月には、メーカーから招待を受けてEdu Falaschiブランドのサングラスを発売。これらにはそれぞれ、彼が作った曲のタイトルが付けられている。


 2005年12月から2006年4月にかけて、初のソロプロジェクトALMAHをレコーディングし、2006年6月にリリースされた。このCDでEduは、既に良く知られた彼のシンガー・コンポーザー・アレンジャーとしての才能を表現しただけではなく、そのほかにも、全ての作詞作曲、オーケストラやキーボード・アコースティックギター・ドラム・ギターにベースなど全てのアレンジ、プロジェクトの全てのプロデュースまでをもこなしている。

 このプロジェクトAlmahは、世界のロック界のスター達からなり、ギターにNightwishのEmpuu Vourinem、ベースにStratovariusのLauri Porra、ドラムにKamelotのCasey Grilloを起用している。
 同時に、QueensrycheのギタリストMikw Stoneや、Dr.SinのギタリストEdu Ardanuyなどもゲストミュージシャンとして参加している。

 同じく2006年、Eduは、元HelloweenのUli Kuschの「Glorious」というプロジェクトに招待され、メタル界のビッグネーム達と共に、サッカーW杯のための曲をレコーディングした。

 また再度、アニメ「聖闘士星矢/天界編」のエンディング曲「Never」のポルトガル語バージョンをレコーディングした。この映画は、ブラジルでは2006年11月末から公開されている。

 
2006年半ばには、ANGRAの6枚目のスタジオアルバム「Aurora Consugrens」をレコーディングし、一般発売前でも既に、世界中、特にヨーロッパと日本から素晴しい評価を得ている。

 長期に及ぶツアーは2006年9月にブラジルから始まり、2008年の中頃に終わるだろう。つまり、来年2007年は、沢山の活動が約束されているということである。それはシンガーEdu Falaschiにとっては休みがほとんどないということでもあるが、それこそ、世界に向けて歌いプレイするということこそが、まさに彼が好きなことなのだ!